2018.07.19
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米スタンフォード大学アメリカンフットボール部コーチ 河田 剛(かわた・つよし)氏に聞く【城西大学OB】
河田 剛氏 インタビュー (1995年、経済学部卒)
河田 剛氏
河田 剛氏 著書
城西大学アメリカンフットボールのOBである河田剛氏は現在、名門の米スタンフォード大学アメリカンフットボール部のコーチを務めています。米プロフットボールリーグ(NFL)に最も近い存在と言われる河田氏。日本大学の「危険タックル」問題では、新監督を選ぶ外部有識者の選考委員でもあります。帰国中の河田氏にフットボールへの思いやアメリカから見た日本のスポーツ界、城西生へのメッセージなどをお聞きしました。
――アメフトとの出会いは。
「高校時代は野球をしていましたが、中高時代からテレビでNFLの中継を見ていて、カッコいいと思っていました。当時テレビで人気だったラグビーの『スクール・ウォーズ』世代だったので、大学ではラグビーかアメフトをやりたいと思っていましたが、グラウンドが近かったアメフトを選びました(笑)。何が正しい(練習)かも分からず、暗中模索の4年間。でも本当に楽しかったですね。社会人では、人工芝のグラウンドにアメリカ人のコーチが2人いて、聞いたこともない戦略に戦術、それを遂行する細かいテクニックも。何なんだこれはと思いました。こんなに楽しいことがあったんだと思いましたね」
――あちらではまた違ったアメフトに出会われた。
「スタンフォードではオン・シーズンとオフ・シーズンが明確に決まっていて、7月末から11月末のオン・シーズン以外は練習してはいけないんです。オン・シーズン中もチームが活動できるのは週20時間。試合や重要なミーティングの時間もあって、フィールドで2時間練習できるのは週に1回。だから指導者はその限られた時間の中で成果を出すことが求められる。それもまた面白い。オフ・シーズンの間、コーチはリクルーティング(勧誘)活動をし、選手は別のスポーツをし(マルチ・スポーツ)、勉学にいそしむ。アメリカ生活は11年目が終わろうとしていますが、驚きの連続。ずっと驚いています。フットボールの指導者としても、日本のスポーツに深くかかわる者としても」
――2007年、単身渡米しスタンフォードには飛び込み営業だったとお聞きしています。
「ちょっと知っている先方のコーチがいて、まずは窓口の総務の事務方に行って『英語を学びに来ました。午前中は語学学校に通うので午後はアメフト部の手伝いをさせてほしい。デスクもお金もいらない』と売り込みをしました。語学学校に行く気なんてないですよ(笑)。いろんな人がいろんな用件で来るんでしょうね。面倒くさがられ『今日は帰れ』と突っぱねられました。コーチに相談すると、『ちょっと作戦考えよう』と。コーチが言うには、ヘッドコーチはちょっと変わった人で、『機嫌がいい時に行けば大丈夫だから』と翌日、呼ばれて行ったら、『それほどフットボールが好きならちょっとやってみろ』とボランティアコーチでの採用がきまりました」
――これまでで最大の転機は。
「社会人時代の2002、3年ごろにはアメリカに渡ってコーチをしたいと思い始めていましたが、日本のサラリーマン社会ではなかなか踏み切れないですよね。2006年の暮れに知り合いのアメリカのプロチームのコーチに『2月のキャンプを見に行きたい』と連絡しました。航空券も買って返事を待っても音沙汰なし。とりあえず行ってみたら、グラウンドでそのコーチが満面の笑みで迎えてくれました。日本人はいろんな保証を求めますが、アメリカ人にとっては『来たかったら来ればいい』ということなんでしょうね。翌日、別のコーチに洗濯など生活上のことをいろいろ聞いたところ、そのコーチは『お前の質問の8割方はやってみれば分かることだ』と言われてしまいました。この二つの出来事があって、自分はいろんな保証を求めて自分のやりたいことを何もやっていない。これはもうやるしかないと思ったんです。帰国して成田から上司に電話して『会社を辞めます』と伝えました」
――アメリカから見た日本のスポーツはどう映りますか。「スポーツ・ガラパゴス化」とも新著に書かれています。
「基本的にスポーツは社会、文化と切り離すことは出来ないと思います。数年前、高校野球で強豪校を破って甲子園に出たチームの監督が、環境や選手の素質など不利の状況の中にあって深夜までの練習や夜を徹してのミーティングなどを挙げて『ここまで来ました』と言っていました。メディアをはじめ、日本はそういう話が好きなんです。しかし、言い方を変えれば『私は指導者として能力が著しく低く、子どもたちの時間を犠牲にしてやっとここまで来ました』と言っているのに等しい。こんなマネジメントをするビジネスマンは社会で評価されません。社会一般で評価されないことがスポーツではまだ評価されてしまう。アメリカではビジネスとスポーツが同じ土俵で勝負しています。日本ではセクハラ、パワハラ問題でも大きく遅れている。日本大学の『危険タックル』問題も、監督が時代に合わない指導を続けてきたことを誰にも咎められないままパワーを持ってしまったということです。また、アメリカであればあれほどのラフプレーなら1回目の反則で審判が一発退場にする。リーグ側がチームの監督・ヘッドコーチに厳しい処分を課す。3日以内にはケリがついているでしょう。ガバナンスがしっかりしています」
――2020年に2度目の東京五輪が開かれます。日本のスポーツ界への提言をお願いします。
「できるだけ多くの指導者にアメリカで起きていることを知ってほしいと思います。選手の人生が大きな円だとしたら、指導者がかかわれるのは一つの点ぐらいにすぎない。たかだか点ぐらいにかかわれない人が、ケガなどの負の遺産を与えることはできないですよ。自分が抱えている選手がアスリートである前に人間であって人生があるんだということです。向こうに行って2008年の北京五輪でスタンフォード大学関係者が取ったメダルの数が25個で、日本と同数だった聞いてショックを受けました。その時、日本のスポーツをどうにかしなければいけないと思ったのが、私の今の活動につながっています」
――やはりNFLは目標ですか。
「スタンフォードとの関係が強くなって、多くの方々との出会いも生まれていますが、1回は行ってみたいです。チャンスはあると思います」
――座右の銘を教えてください。
「『グッド・イン、グッド・アウト』です。いいことを学んだら、その分、皆でシェアしようということです。尊敬する先輩の座右の銘である『努力は正しい方向にすべきである』も好きです。本人もチームとしても正しい方向を見る、少なくとも探す努力をするのとしないのでは大きく違う。この言葉が好きで、その方向に導く仕事であるコーチを選んだのかもしれません」
――城西大学の部活の選手やコーチはどう努力していけばいいでしょうか。
「自分もそうだったんですけど、ただやっているということが多くて……。大きなリーグ戦で勝ちますとかそれだけ決めて、それを細かく落とし込んでいないですよね。だから努力する方向も定まらない。いくつかのポイントを決め、スケジュールに落とし込んでいった方が、他の人とチームとの差別化になるんじゃないでしょうか」
――城西生にメッセージをお願いします。
「月並みですけど、チャレンジすることを恐れていては何も始まりません。といっても私もチャレンジするのにだいぶ時間がたちましたが……。『やりたいことをやればいい』と無責任なことは言えませんし、それぞれの事情もありますが、日々の小さいことでもいいんです。たやすいチャレンジでもいいんです。自分と競争することをしないと、成長と責任も生まれません。成長と責任が生まれると、そこに報酬がついてきます」
――アメフトとの出会いは。
「高校時代は野球をしていましたが、中高時代からテレビでNFLの中継を見ていて、カッコいいと思っていました。当時テレビで人気だったラグビーの『スクール・ウォーズ』世代だったので、大学ではラグビーかアメフトをやりたいと思っていましたが、グラウンドが近かったアメフトを選びました(笑)。何が正しい(練習)かも分からず、暗中模索の4年間。でも本当に楽しかったですね。社会人では、人工芝のグラウンドにアメリカ人のコーチが2人いて、聞いたこともない戦略に戦術、それを遂行する細かいテクニックも。何なんだこれはと思いました。こんなに楽しいことがあったんだと思いましたね」
――あちらではまた違ったアメフトに出会われた。
「スタンフォードではオン・シーズンとオフ・シーズンが明確に決まっていて、7月末から11月末のオン・シーズン以外は練習してはいけないんです。オン・シーズン中もチームが活動できるのは週20時間。試合や重要なミーティングの時間もあって、フィールドで2時間練習できるのは週に1回。だから指導者はその限られた時間の中で成果を出すことが求められる。それもまた面白い。オフ・シーズンの間、コーチはリクルーティング(勧誘)活動をし、選手は別のスポーツをし(マルチ・スポーツ)、勉学にいそしむ。アメリカ生活は11年目が終わろうとしていますが、驚きの連続。ずっと驚いています。フットボールの指導者としても、日本のスポーツに深くかかわる者としても」
――2007年、単身渡米しスタンフォードには飛び込み営業だったとお聞きしています。
「ちょっと知っている先方のコーチがいて、まずは窓口の総務の事務方に行って『英語を学びに来ました。午前中は語学学校に通うので午後はアメフト部の手伝いをさせてほしい。デスクもお金もいらない』と売り込みをしました。語学学校に行く気なんてないですよ(笑)。いろんな人がいろんな用件で来るんでしょうね。面倒くさがられ『今日は帰れ』と突っぱねられました。コーチに相談すると、『ちょっと作戦考えよう』と。コーチが言うには、ヘッドコーチはちょっと変わった人で、『機嫌がいい時に行けば大丈夫だから』と翌日、呼ばれて行ったら、『それほどフットボールが好きならちょっとやってみろ』とボランティアコーチでの採用がきまりました」
――これまでで最大の転機は。
「社会人時代の2002、3年ごろにはアメリカに渡ってコーチをしたいと思い始めていましたが、日本のサラリーマン社会ではなかなか踏み切れないですよね。2006年の暮れに知り合いのアメリカのプロチームのコーチに『2月のキャンプを見に行きたい』と連絡しました。航空券も買って返事を待っても音沙汰なし。とりあえず行ってみたら、グラウンドでそのコーチが満面の笑みで迎えてくれました。日本人はいろんな保証を求めますが、アメリカ人にとっては『来たかったら来ればいい』ということなんでしょうね。翌日、別のコーチに洗濯など生活上のことをいろいろ聞いたところ、そのコーチは『お前の質問の8割方はやってみれば分かることだ』と言われてしまいました。この二つの出来事があって、自分はいろんな保証を求めて自分のやりたいことを何もやっていない。これはもうやるしかないと思ったんです。帰国して成田から上司に電話して『会社を辞めます』と伝えました」
――アメリカから見た日本のスポーツはどう映りますか。「スポーツ・ガラパゴス化」とも新著に書かれています。
「基本的にスポーツは社会、文化と切り離すことは出来ないと思います。数年前、高校野球で強豪校を破って甲子園に出たチームの監督が、環境や選手の素質など不利の状況の中にあって深夜までの練習や夜を徹してのミーティングなどを挙げて『ここまで来ました』と言っていました。メディアをはじめ、日本はそういう話が好きなんです。しかし、言い方を変えれば『私は指導者として能力が著しく低く、子どもたちの時間を犠牲にしてやっとここまで来ました』と言っているのに等しい。こんなマネジメントをするビジネスマンは社会で評価されません。社会一般で評価されないことがスポーツではまだ評価されてしまう。アメリカではビジネスとスポーツが同じ土俵で勝負しています。日本ではセクハラ、パワハラ問題でも大きく遅れている。日本大学の『危険タックル』問題も、監督が時代に合わない指導を続けてきたことを誰にも咎められないままパワーを持ってしまったということです。また、アメリカであればあれほどのラフプレーなら1回目の反則で審判が一発退場にする。リーグ側がチームの監督・ヘッドコーチに厳しい処分を課す。3日以内にはケリがついているでしょう。ガバナンスがしっかりしています」
――2020年に2度目の東京五輪が開かれます。日本のスポーツ界への提言をお願いします。
「できるだけ多くの指導者にアメリカで起きていることを知ってほしいと思います。選手の人生が大きな円だとしたら、指導者がかかわれるのは一つの点ぐらいにすぎない。たかだか点ぐらいにかかわれない人が、ケガなどの負の遺産を与えることはできないですよ。自分が抱えている選手がアスリートである前に人間であって人生があるんだということです。向こうに行って2008年の北京五輪でスタンフォード大学関係者が取ったメダルの数が25個で、日本と同数だった聞いてショックを受けました。その時、日本のスポーツをどうにかしなければいけないと思ったのが、私の今の活動につながっています」
――やはりNFLは目標ですか。
「スタンフォードとの関係が強くなって、多くの方々との出会いも生まれていますが、1回は行ってみたいです。チャンスはあると思います」
――座右の銘を教えてください。
「『グッド・イン、グッド・アウト』です。いいことを学んだら、その分、皆でシェアしようということです。尊敬する先輩の座右の銘である『努力は正しい方向にすべきである』も好きです。本人もチームとしても正しい方向を見る、少なくとも探す努力をするのとしないのでは大きく違う。この言葉が好きで、その方向に導く仕事であるコーチを選んだのかもしれません」
――城西大学の部活の選手やコーチはどう努力していけばいいでしょうか。
「自分もそうだったんですけど、ただやっているということが多くて……。大きなリーグ戦で勝ちますとかそれだけ決めて、それを細かく落とし込んでいないですよね。だから努力する方向も定まらない。いくつかのポイントを決め、スケジュールに落とし込んでいった方が、他の人とチームとの差別化になるんじゃないでしょうか」
――城西生にメッセージをお願いします。
「月並みですけど、チャレンジすることを恐れていては何も始まりません。といっても私もチャレンジするのにだいぶ時間がたちましたが……。『やりたいことをやればいい』と無責任なことは言えませんし、それぞれの事情もありますが、日々の小さいことでもいいんです。たやすいチャレンジでもいいんです。自分と競争することをしないと、成長と責任も生まれません。成長と責任が生まれると、そこに報酬がついてきます」
河田剛氏略歴
1972年、さいたま市生まれ。1991年城西大学でアメリカンフットボールを始め、1995年リクルート関連会社入社と同時に「リクルートシーガルズ(現オービックシーガルズ)で活動。選手として4回、コーチとして1回、日本一達成。2007年に渡米し、スタンフォード大学アメリカンフットボール部でボランティアコーチ就任。2011年から正式に採用され、オフェンス・アシスタントに就任。現在、オービックシーガルズのアドバイザー、大阪経済大学客員教授も務める。日本人の選手や指導者の中で、米プロフットボール(NFL)に最も近い存在と言われている。今年4月、日本のスポーツ界に警鐘を鳴らす『不合理だらけの日本スポーツ界』(ディスカバー携書)=冒頭写真=を刊行した。
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