2023.02.01
研究科 経済学研究科
2022年度 経済学研究科 第1回FD研修会 「歴史的に紐解く日本自動車産業の海外展開と現状【経済学研究科】

20230127経済学研究科FD研修

2022年度 経済学研究科 第1回FD研修会が1月23日に、城西大学上山邦雄名誉教授を招いて開催されました。演題は「歴史的に紐解く日本自動車産業の海外展開と現状」でした。 

20230127経済学研究科FD研修

演題:「歴史的に紐解く日本自動車産業の海外展開と現状」

日本の自動車産業の歴史について、①戦前期、②戦後再建期(1945~1954年)、③高度成長期(1955~1973年)、④石油危機からバブル期(1974~1990年)、⑤バブル期から再確立期(1991~2007年)、⑥リーマンショックと回復過程(2008年~)、⑦今後の展望、と日本経済の趨勢に合わせて区分し、報告が行われた。
報告事項の要約は、以下である。
①戦前期では、日本の自動車市場の拡大は1920年代後半(1926年2,626台、1929年36,812台)で、供給台数の拡大は輸入車によってもたらされた。
②戦後再建期では、日本はまだ途上国段階であったため、生産台数ではトラックが圧倒的に多く、乗用車は金持ち、リーダー的人物、タクシー等の需要のみで少なかった(乗用車11,654台、トラック148,228台(1954年))。輸出も日本の自動車産業の競争力は弱く、トラックが殆どであった(乗用車1台、トラック679台(1954年))。
③高度成長期では、1955年の段階では乗用車は国内需要のみで輸出競争力は十分でなかったが、輸出台数が1960年代後半に大きく伸びた(1955年2台、1969年56万台)。1961年にトラック・バスの輸入自由化、1964年に乗用車の輸入自由化、1973年に資本自由化が実現した。さらに、1978年に日本の乗用車の輸入関税がゼロとなり、この頃に自信を持つに至った。
④石油危機からバブル期では、米国においてマスキー法による規制をクリアできなかった“ビッグ3”に対して、日本車はクリアできたことで格段に評価が上がった。1990年に国内生産がピーク(778万台)に達した。さらに、1989年に発売したセルシオが走行性能で負けていたヨーロッパ車に肩を並べるに至った。
⑤バブル期から再確立期では、輸出台数がバブル経済崩壊後に減少し1996年に谷となり(371万台)、2008年にピーク(672万台)に達した。
⑥リーマンショックと回復過程では、2008年秋から2009年にかけて国内生産と輸出が大
きく下落したが、国内販売はそれほど大きな影響はなかった。
⑦今後の展望では、自動車づくりはこれまで先進国によるものであったが、新興国へとシフトしている。中国では、政府が主導した政策(ガソリン車では技術的に欧米に対抗できないため、EVでスタート段階から欧米に対抗するもの)が実りつつあり、電動化が急速に進展している。ヨーロッパメーカーは、強力な電池メーカーが見当たらないため、苦戦を強いられている。さらに、中国のNEV市場は、中国勢とTeslaが独占し、日本勢は苦戦している(上位25モデル中、17、18、21位)。また、全固体電池関連の特許では、日本勢(トヨタ、パナソニック、出光等)が優勢である。

日本の自動車メーカーは、これまで構築してきたモノ造り能力にさらに磨きをかけるとともに、ハイブリッド車や燃料電池車で先行した次世代自動車の開発を、電気自動車に広げる必要がある。そのためには、現在のリチウムイオン電池に代わる全固体電池等の次世代電池の開発競争に勝利することが肝要である。
以上

(経済学研究科・広報課)

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