レディネスとは?総合的な探究の時間に必要な理由や取り組みを解説

文化・教養
浅原 知恵

探究学習の「レディネス」とは?

 「空」という文字を見て思いつくことをいくつでもあげてください。読むこと以外の「週刊誌」の使い道をできるだけたくさん考えてみましょう。絵を見て気づいたこと,考えたこと,不思議に思ったことなどを教えてください。ディベートで論理力を鍛えましょう。大学の先生になったつもりで,自分が特に関心を持っているテーマで「授業」を行ってください。

 これらは,大学での探究活動の前に行っているグループアクティビティの一部です。各自のテーマを探究するための具体的な取り組みを始める前に,こうした活動に1年近くをかけています。なぜそれが必要なのでしょうか。

 2022年度から全国の高校で「総合的な探究の時間」が必修科目となりました。それ以前の「総合的な学習の時間」が変更されたものです。

 これまでの学校の勉強は,教科ごとに知識や技能を学び,それらをより正確に,より多く身につけ,試験で正答を書くことができた生徒によい成績を与えられることが一般的でした。しかし高校生がこれからの人生で行っていく様々な選択にも、社会人になってから仕事の上で行う意思決定にも、日本と世界が直面している困難な課題への対処にも、あらかじめ用意されている正解は存在しません。唯一の答えがない、あるいは答えが複数ありうる状況で、自分にとっての答えを見つけたり、人々と協力して最適解を模索していくことが求められます。

「総合的な探究の時間」は、高校生がそのような時代を「生きる力」を養うための機会の一つであり、探究過程で必要な知識及び技能を身に付け,他者とも協働しながら,実社会や実生活と自己と関連した①問いを見出し,②課題を設定し,③情報を集め,④整理・分析して,⑤まとめ・表現することができるようになることを目指します。①~⑤の番号は私が付しましたが,これらはまさしく,大学の研究者が行っている研究活動そのものです。高校生のうちから、探究を通して多様な資質を身につける機会があることを望ましく思う一方で,学問を生業としている研究者と同じ経験を現在の高校生に課すのは,ハードルが高すぎるのではないか,早すぎるのではないか,という印象も持っています。というのも、大学生の卒業研究を支援,指導してきた経験から、一人ひとりが自らの問いにしたがって主体的に探究を進め、最終的に成長を実感できるためには、①~⑤以前の準備段階のプロセスが必要だと考えるようになったからです。

おいしい食べ物は十分に耕された土地に育ちます。アスリートの活躍には体づくりが不可欠です。同様に,探究学習にもそれなりの準備が必要です。心理学では,学習に必要な準備状態のことを「レディネス」といい,学習の効果が十分得られるためには,事前に「レディネス」を整えることが重要だとされています。

探究学習の「レディネス」が必要な理由

冒頭で紹介したアクティビティは,レディネスを整えるための取り組みの一環です。これらのアクティビティがなぜ必要で,何を目指しているのかについて,2つの観点から述べることにします。

①「外」から「内」への視点の転換・「正解がない/複数ある」課題への適応

 人は,誰からも強制されずに自発的に行動していると感じられる場合に意欲(内発的動機づけ)が高まることが知られています。しかしこれまでの学校教育では,問いも解決方法も答えも「外」から与えられることがほとんどで,その答えは大抵の場合「唯一の正解」でした。自由に感想や考えを述べてもよいとされる機会でも,自発的な行動を促される場面でも,大抵の場合「暗に期待されている言動」がありました。一方探究学習のもとになる問いは,それぞれの学生の「内」側に生じ見出されるもので,「唯一の正解」も「期待されている答え」も存在せず,あるのは「一人一人に固有の答え」です。残念ながら学生たちは,「外」にある期待されている答えを探すことにあまりに慣れすぎていて,「内」面を探索し自らを表現することには不慣れです。これまでに求められてきた「生きる力」は,正解(への道筋)をインプットし,期待される答えをアウトプットすることだったのですから無理もありません。自ら疑問に思うことや,自分が本当に知りたいことに気づき言葉で表現することは,実はそれほど簡単なことではないのです。

 そこで私が,探究学習以前に必要だと考えるようになったのが,自由に感じたり考えたり表現したりしてよいという感覚を持てるようになること,実際に体験してみた結果,自分にも独自の考えや感覚や疑問があることに気づくこと、それらの体験を楽しいと感じられることです。言わば,頭と心の使い方の転換です。冒頭で紹介したアクティビティは,そのために導入しました。自己の内面への気づきや創造的な思考のほか,協調性,コミュニケーション力など,学力では測れない人間関係に関わる能力(非認知能力)の育成に効果が期待されるもので,心理学をベースとして考案されたグループアクティビティが中心ですが,芸術の分野で用いられてきた「インプロ(即興)」や「対話型鑑賞」の手法をお借りした実践も取り入れています。

 どんなことを感じても,思っても,考えても,だれからも批判されない,馬鹿にされなに,恥ずかしくない,という心の安全が保たれた空間となるよう配慮しながら,様々な「正解のない課題」にグループで取り組み,自分の「内」にあるものを探し,言葉にする経験を重ねると,学生たちは徐々に変化していきます。例年のふりかえりの中で最も多いのは,「人によってこんなに見方,考え方が違うことに驚いた・面白かった」という多様性を実感したことに関する内容です。また行動面の変化として目立つのは,自発的な発言や記述の量が増えることと,教員の説明や意見に対する疑問や異論・反論を表現できるようになることです。平凡な人間に過ぎないと思っていた自分にもユニークな視点があることに気づき,自分の発言が意味あるものとして受け止められ,グループに貢献できたという体験をすることが,ささやかながら確かな自信につながるのだと思います。

②自分の関心事についてクラスの誰よりも詳しくなる・自分の関心事を「他者目線」で語る

 先に述べた①~⑤の探究活動の過程で,最も大切で最も時間がかかり,最も難しい部分はどこだと思いますか。多くの研究者は①②と答えるでしょう。「見出した問いをもとに,具体的な課題を設定する」「自分が知りたいことを具体的に知る」ことは,研究者にとっても大変難しい過程です。

 学生の多くは,何らかの趣味,関心事,こだわりのあること等を尋ねれば何かしら答えてくれます。サッカーやポケモンやアイドルが大好きな学生は,その魅力や楽しさを熱く語ってくれます。若者に関わりのある時事問題について,強い不満や主張を述べることもあります。しかしたとえば,サッカーが好きな学生が,サッカーの歴史や競技人口,経済効果,国や地域によるサッカー文化の違いなどの客観的な知識を豊富に持っているかというと,必ずしもそうとは限りません。好きなこと,こだわりの存在はとても大切ですが,それだけでは,探究につながる「問い」や,具体的な「課題」をすぐに設定できるわけではありません。具体的な課題を定めるには,関心事に対する主観的な思い入れとは別に,様々な客観的知識が必要だからです。

そこで,私の卒論ゼミでは,学生全員に,自分の関心事に関する「客観的情報」を集め,ゼミ仲間の前で授業をしてもらうことにしました。必ず含めるように求めているのは,キーワードとなる単語の定義,現状を紹介するためのデータ資料,少なくとも3つ以上の信頼できる資料から得た情報の3点です。

授業の準備のために自分の関心事に関連した情報に多く触れることにより,具体的な「問い」が生まれる土台を形作ること,素人にわかりやすい説明を目指すことで,情報が整理され,他者目線が養われること,自分のテーマについては誰よりも詳しくなることで自分を誇りに思えるようになることを目論んでいます。この段階を経て初めて学生たちは,漠然としていて抽象的にしか語れなかった「問い」や「知りたいこと」を,より具体的に,自分の言葉で表現できるようになります。

高校では「レディネス」水準を高める取り組みにも着目を

 中学生や高校生の探究的な学習がニュースや広報で紹介される際,生徒たちが町に出て地域の人と交流していたり,グループで作業していたり,パワーポイントを駆使してプレゼンしたりしている姿がクローズアップされます。目に見える活動や成果にスポットライトをあてやすいのは当然ですし,こうした活動が高校生の成長につながった例が数多くあることでしょう。大学で行う探究活動の予行演習としても有効です。 ただこれらはいずれも,探究課題を設定した後の,③情報収集,④整理・分析,⑤まとめ・表現に相当する部分で,探究学習全体の中では中盤から終盤に位置する活動です。

 これまでに述べてきたように,探究学習に意欲的に取り組むためには,先行する①②の過程― 一人一人が自分の内から発せられた問いに出会い,そこから具体的な課題を設定すること―が大切であり,そのためには,正解のない課題の答えを自分の内に見出す練習や,客観的な情報を見渡し整理することを通してレディネスを整えることが必要です。

 レディネスは一朝一夕には整えられませんが,③~⑤は,汎用的なスキルとして教えること・身に着けることが比較的しやすい部分のため,大学に入ってから本格的に学ぶのでも遅くはありません。そう考えると,高校までの学びでは,③④⑤よりも,①②のためのレディネス水準を高めることにより多くの時間をかけてほしいと思います。探究の方法を学び体験するだけでなく,一人一人が探究してみたいと心から思えるテーマに出会うことを目指す,という過程も大切にしてほしいものです。

おいしい食べ物は十分に耕された土地に育ち,アスリートの活躍には体づくりが不可欠だと述べました。高校までの学びでは,耕すこと,体を作ることにより多くの時間をかけ,頭と心のレディネスを整えてほしい。そうすれば大学での学びは,一層楽しく,実り多いものとなるはずです。

この記事を書いた人

浅原 知恵

・城西大学 経済学部 教授

・博士(心理学)(2007年3月 上智大学)

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