第7回城西大学中国語スピーチコンテスト
開催報告
開催日時:2021年10月23日(土)13時00分~17時00分
実施方法:オンライン(ZOOM)
応募者数: 28名
実施方法:オンライン(ZOOM)
応募者数: 28名
【朗読の部】 課題文:荷塘月色※
登壇順 | 氏名 | 学校名 | 賞 |
1 | 武岡 克樹 | 城西大学 | 西入間青年会議所賞 |
2 | 岡 未奈子 | 東洋英和女学院大学 | HSK日本実施委員会賞 |
3 | 米谷 翔 | 城西大学 | 鶴ヶ島市教育委員会教育長賞 |
4 | 笹本 真愛 | 東洋英和女学院大学 | 審査員特別賞 |
5 | 中村 華梨 | 城西大学 | 城西大学同窓会賞 |
6 | 北畠 志温 | 東京電機大学 | テレ玉賞 |
7 | 有賀 雛子 | 城西大学 | 毎日新聞社賞 |
8 | 森下 隆熙 | 城西短期大学 | 埼玉県日本中国友好協会賞 |
9 | 吉田 未都 | 東京外国語大学 | 城西大学語学教育センター 所長賞 |
10 | 清水 丈生 | 城西大学 | 城西大学父母後援会賞 |
11 | 沢登 滉平 | 城西国際大学 | 敢闘賞 |
【スピーチの部】
登壇順 | 氏名・学校名 | テーマ | 賞 |
1 | 蓮池 慶子 北京語言大学東京校 |
我的梦想和北京大学/ 私の夢と北京大学 |
HSK日本実施委員会賞 |
2 | 永山 尚子 城西国際大学 |
〜我愿世界和平〜/ 〜私が願う世界の平和〜 |
坂戸市商工会賞 |
3 | 吉田 真翔 中央大学 |
百闻不如一见/ 百聞は一見に如かず |
埼玉県日本中国友好協会賞 |
4 | 寺川 紗李奈 京都産業大学 |
恩师与梦想/ 恩師と夢 |
鶴ヶ島市長賞 |
5 | 日高 杏 東京外国語大学 |
我学汉语的动力/ 私の中国語学習の原動力 |
埼玉県知事賞 |
6 | 市原 美香 城西国際大学 |
我们与新冠肺炎共存/ コロナウイルスと共存している私たち |
埼玉新聞社賞 |
7 | 木谷 瞳 明治大学 |
我的成长之路/ 私の成長の道 |
城西大学語学教育センター 所長賞 |
8 | 岩佐 瑛二 城西国際大学 |
日本人眼中的饮茶文化/ 日本人が体験した飲茶の真髄 |
最優秀賞 城西大学学長賞 |
9 | 江森 かほみ 日本大学 |
竞技歌牌/ 競技かるた |
坂戸市長賞 |
10 | 王 睿亜 城西大学 |
学习中文很难/ 中国語の勉強は難しい |
坂戸市教育委員会教育長賞 |
出場者と運営側の記念撮影
※《荷塘月色》朱自清
月光如流水一般,静静地泻在这一片叶子和花上。薄薄的青雾浮起在荷塘里。叶子和花仿佛在牛乳中洗过一样;又像笼着轻纱的梦。虽然是满月,天上却有一层淡淡的云,所以不能朗照;但我以为这恰是到了好处酣眠固不可少,小睡也别有风味的。月光是隔了树照过来的,高处丛生的灌木,落下参差的斑驳的黑影,峭楞楞如鬼一般;弯弯的杨柳的稀疏的倩影,却又像是画在荷叶上。塘中的月色并不均匀;但光与影有着和谐的旋律,如梵婀玲上奏着的名曲。
荷塘的四面,远远近近,高高低低都是树,而杨柳最多。这些树将一片荷塘重重围住;只在小路一旁,漏着几段空隙,像是特为月光留下的。 树色一例是阴阴的,乍看像一团烟雾;但杨柳的丰姿,便在烟雾里也辨得出。树梢上隐隐约约的是一带远山,只有些大意罢了。树缝里也漏着一两点路灯光,没精打采的,是渴睡人的眼。这时候最热闹的,要数树上的蝉声与水里的蛙声;但热闹是它们的,我什么也没有。
〈訳 文〉
月の光は流れる水のように、ひっそりと(蓮の)葉と花に注がれ、青みがかった霧がうっすらと蓮池にかかっている。(蓮の)葉と花はあたかも牛乳を浴びたかのようであり 、薄絹に覆われた夢のようでもある。満月ではあったが、空には薄い雲がうっすらとかかっていて、明るく照らしてはくれない。しかし、私にはちょうどよいころあいに思えた。深い眠りはむろん欠くことはできないが、仮寝にも別の趣があるというものだ。月の光が木々を隔てて差し込んでくる。高いところに群生している灌木は、大きさがまちまちでまだらな影を落としているが、鋭く尖 っていて鬼のようだ。弓なりにしなった柳のまばらなシルエットは、蓮の葉に描きこまれたようである。池に浮かぶ月の光は一様ではないが、光と陰には調和のとれた旋律があり、それはバイオリンが奏でる名曲ようである。
蓮池の周りは、いたるところ樹で覆い尽くされていて、中でも柳が最も多い。これらの樹は一面の蓮池を幾重にも取り囲んでいる。小道の片側だけは、長細く途切れ途切れに隙間が空いていて、まるで月の光のために特別に残しておいたようである。木々はうっそうとしていて暗く、 一瞬、煙に包まれているかのように見える。しかし、柳のシルエットは、煙の中にあってもくっきりと浮かび上がって見える。梢には遠くに連なる山々が見え隠れしているかのようだ。樹の葉や枝の隙間から街灯の明かりがぽつりぽつりと漏れてくるが、元気がなく、寝ぼけ眼をしょぼしょぼさせているようである。今、最もにぎやかなのは、樹の上のセミと水の中のカエルの鳴き声だろう。そして、このにぎわいは彼らのものであり、私とは何の関係もないのだ。
出典
千野万理子「朱自清散文を読む」(4)(『中国語の環』 87 号 『中国語の環』編集室編 2011 年 4 月)
月光如流水一般,静静地泻在这一片叶子和花上。薄薄的青雾浮起在荷塘里。叶子和花仿佛在牛乳中洗过一样;又像笼着轻纱的梦。虽然是满月,天上却有一层淡淡的云,所以不能朗照;但我以为这恰是到了好处酣眠固不可少,小睡也别有风味的。月光是隔了树照过来的,高处丛生的灌木,落下参差的斑驳的黑影,峭楞楞如鬼一般;弯弯的杨柳的稀疏的倩影,却又像是画在荷叶上。塘中的月色并不均匀;但光与影有着和谐的旋律,如梵婀玲上奏着的名曲。
荷塘的四面,远远近近,高高低低都是树,而杨柳最多。这些树将一片荷塘重重围住;只在小路一旁,漏着几段空隙,像是特为月光留下的。 树色一例是阴阴的,乍看像一团烟雾;但杨柳的丰姿,便在烟雾里也辨得出。树梢上隐隐约约的是一带远山,只有些大意罢了。树缝里也漏着一两点路灯光,没精打采的,是渴睡人的眼。这时候最热闹的,要数树上的蝉声与水里的蛙声;但热闹是它们的,我什么也没有。
〈訳 文〉
月の光は流れる水のように、ひっそりと(蓮の)葉と花に注がれ、青みがかった霧がうっすらと蓮池にかかっている。(蓮の)葉と花はあたかも牛乳を浴びたかのようであり 、薄絹に覆われた夢のようでもある。満月ではあったが、空には薄い雲がうっすらとかかっていて、明るく照らしてはくれない。しかし、私にはちょうどよいころあいに思えた。深い眠りはむろん欠くことはできないが、仮寝にも別の趣があるというものだ。月の光が木々を隔てて差し込んでくる。高いところに群生している灌木は、大きさがまちまちでまだらな影を落としているが、鋭く尖 っていて鬼のようだ。弓なりにしなった柳のまばらなシルエットは、蓮の葉に描きこまれたようである。池に浮かぶ月の光は一様ではないが、光と陰には調和のとれた旋律があり、それはバイオリンが奏でる名曲ようである。
蓮池の周りは、いたるところ樹で覆い尽くされていて、中でも柳が最も多い。これらの樹は一面の蓮池を幾重にも取り囲んでいる。小道の片側だけは、長細く途切れ途切れに隙間が空いていて、まるで月の光のために特別に残しておいたようである。木々はうっそうとしていて暗く、 一瞬、煙に包まれているかのように見える。しかし、柳のシルエットは、煙の中にあってもくっきりと浮かび上がって見える。梢には遠くに連なる山々が見え隠れしているかのようだ。樹の葉や枝の隙間から街灯の明かりがぽつりぽつりと漏れてくるが、元気がなく、寝ぼけ眼をしょぼしょぼさせているようである。今、最もにぎやかなのは、樹の上のセミと水の中のカエルの鳴き声だろう。そして、このにぎわいは彼らのものであり、私とは何の関係もないのだ。
出典
千野万理子「朱自清散文を読む」(4)(『中国語の環』 87 号 『中国語の環』編集室編 2011 年 4 月)