第9回城西大学中国語スピーチコンテスト
開催報告
開催日時:2023年10月28日(土)13時00分~17時00分
実施方法:オンライン(ZOOM)
応募者数: 62名
実施方法:オンライン(ZOOM)
応募者数: 62名
【朗読の部】 課題文:骆驼祥子※
登壇順 | 氏名 | 学校名 | 賞 |
1 | 高月 恵佳 | 福岡女学院大学 | 城西大学父母後援会賞 |
2 | 後藤 萌々 | 聖心女子大学 | 西入間青年会議所賞 |
3 | 椎名 智佳子 | 日本大学 | 坂戸市教育委員会教育長賞 |
4 | 原 柊英 | 東京外国語大学 | 城西大学語学教育センター 所長賞 |
5 | 土井 琴葉 | 大阪公立大学 | 埼玉県日本中国友好協会賞 |
6 | 安東 瑠花 | 城西国際大学 | HSK日本実施委員会賞 |
7 | 河野 もこ | 梅光学院大学 | 鶴ヶ島市教育委員会教育長賞 |
8 | 椎野 星菜 | 駿河台大学 | 坂戸市商工会賞 |
9 | 前田 瑞季 | 山口県立大学 | 毎日新聞社賞 |
10 | 細谷 愛佳 | 目白大学 | 城西大学同窓会賞 |
【スピーチの部】
登壇順 | 氏名・学校名 | テーマ | 賞 |
1 | 北畠 志温 北陸先端科学技術大学院大学 |
中国的说唱和文化/ 中国のRapと文化 |
埼玉県日本中国友好協会賞 |
2 | 八田 奈々 北京語言大学 |
百闻不如一见/ 百聞は一見にしかず |
鶴ヶ島市長賞 |
3 | 増田 佳純 立命館大学 |
一次美好的邂逅/ 素敵な出会い |
最優秀賞 城西大学学長賞 |
4 | 吉田 真翔 中央大学 |
语言的摆渡人/ 言葉の渡し守 |
HSK日本実施委員会賞 |
5 | 結城 晴仁 駿河台大学 |
语言的魅力和学习之旅/ 言語の魅力と学びの旅 |
城西大学父母後援会賞 |
6 | Nguyen Cam Ly 城西国際大学 |
我为什么学习汉语?/ 中国語との出会い |
埼玉県知事賞 |
7 | 岩渕 初音 東洋英和女学院大学 |
我与汉语的缘分/ 私と中国語との縁 |
テレ玉賞 |
8 | 山浦 綾華 | 辞退 | |
9 | 小島 美雨 大妻女子大学 |
笑容是最好的药/ 笑顔が一番の薬 |
城西大学語学教育センター 所長賞 |
10 | 鳴海 美彩希 目白大学 |
我的神/ 私の神様 |
城西大学同窓会賞 |
11 | 林 愛子 日本大学 |
持续挑战/ 挑戦し続けよう |
埼玉新聞社賞 |
12 | 清水 丈生/ 城西大学 |
运动的纽带/ スポーツの絆 |
坂戸市長賞 |
出場者と運営側の記念撮影
最優秀賞受賞者の発表風景
賞品の一例
※《骆驼祥子》老舍
祥子,在与 “骆驼”这个外号发生关系以前,是个较比有自由的洋车夫,这就是说,他是属于年轻力壮,而且自己有车的那一类:自己的车,自己的生活,都在自己手里,高等车夫。这可绝不是件容易的事。一年 、 两年,至少有三四年;一滴汗 、 两滴汗,不知道多少万滴汗,才挣出那辆车。从风里雨里的咬牙,从饭里茶里的自苦,才赚出那辆车。那辆车是他的一切挣扎与困苦的总结果与报酬,像身经百战的武士的一颗徽章。 在他赁人家的车的时候,他从早到晚,由东到西,由南到北,像被人家抽着转的陀螺;他没有自己。可是在这种旋转之中,他的眼并没有花,心并没有乱,他老想着远远的一辆车,可以使他自由,独立,像自己的手脚的那么一辆车。有了自己的车,他可以不再受拴车的人们的气,也无须敷衍别人,有自己的力气与洋车,睁开眼就可以有饭吃。
出典
『 骆驼祥子 』 老舍 著 人民文学出版社 2012 年
〈訳 文〉
この「駱駝」というあだなとかかわりあいをもつ以前の祥子は、比較的自由な人力車夫だった。ということは、つまり彼は若くたくましく、かつ自前の車をもつ部類に属していたということである。自前の車と、自分の生活を手中にしているというのは、これは一流の車引きである。
そうはいっても、これはじつにたいへんなことなのである。その車は、一年、二年、いやすくなくも 三、四年がとこ、汗をひとしずく、ふたしずくとつみかさね、汗にまみれてようよう手にしたものなのだ。 雨風を冒し、うまいものひとつ口にせずに、ようよう買いとったものなのだ。つまり、それは彼の刻苦勉励の決算書であり賜物であり、百戦錬磨の武士の勲章にもたとえらるべきものであったのだ。貸車を引いていた時代の彼は、朝から晩まで、東から西へ、南から北へと、まるで投げられた独楽さながらに、夢中でとびまわっていた。 しかし、こうした奔走のさなかにあっても、彼はけっして目をくらませたり、心を乱したりすることはなく、つねにはるかかなたにある車、自分に自由と独立を もたらしてくれる、自分の手足のような車を見つめつづけていた。 自分の車さえあれば、もう二度と車宿のおやじ連の剣つくをくらうこともないし、人にへいこらすることもない。自分の力と車さえあれば、飯はついてまわるのだ、と。
出典
愛蔵版 「世界文学全集 33 」 『 駱駝祥子 』 ほか 訳:立間祥介 集英社 1974 年
祥子,在与 “骆驼”这个外号发生关系以前,是个较比有自由的洋车夫,这就是说,他是属于年轻力壮,而且自己有车的那一类:自己的车,自己的生活,都在自己手里,高等车夫。这可绝不是件容易的事。一年 、 两年,至少有三四年;一滴汗 、 两滴汗,不知道多少万滴汗,才挣出那辆车。从风里雨里的咬牙,从饭里茶里的自苦,才赚出那辆车。那辆车是他的一切挣扎与困苦的总结果与报酬,像身经百战的武士的一颗徽章。 在他赁人家的车的时候,他从早到晚,由东到西,由南到北,像被人家抽着转的陀螺;他没有自己。可是在这种旋转之中,他的眼并没有花,心并没有乱,他老想着远远的一辆车,可以使他自由,独立,像自己的手脚的那么一辆车。有了自己的车,他可以不再受拴车的人们的气,也无须敷衍别人,有自己的力气与洋车,睁开眼就可以有饭吃。
出典
『 骆驼祥子 』 老舍 著 人民文学出版社 2012 年
〈訳 文〉
この「駱駝」というあだなとかかわりあいをもつ以前の祥子は、比較的自由な人力車夫だった。ということは、つまり彼は若くたくましく、かつ自前の車をもつ部類に属していたということである。自前の車と、自分の生活を手中にしているというのは、これは一流の車引きである。
そうはいっても、これはじつにたいへんなことなのである。その車は、一年、二年、いやすくなくも 三、四年がとこ、汗をひとしずく、ふたしずくとつみかさね、汗にまみれてようよう手にしたものなのだ。 雨風を冒し、うまいものひとつ口にせずに、ようよう買いとったものなのだ。つまり、それは彼の刻苦勉励の決算書であり賜物であり、百戦錬磨の武士の勲章にもたとえらるべきものであったのだ。貸車を引いていた時代の彼は、朝から晩まで、東から西へ、南から北へと、まるで投げられた独楽さながらに、夢中でとびまわっていた。 しかし、こうした奔走のさなかにあっても、彼はけっして目をくらませたり、心を乱したりすることはなく、つねにはるかかなたにある車、自分に自由と独立を もたらしてくれる、自分の手足のような車を見つめつづけていた。 自分の車さえあれば、もう二度と車宿のおやじ連の剣つくをくらうこともないし、人にへいこらすることもない。自分の力と車さえあれば、飯はついてまわるのだ、と。
出典
愛蔵版 「世界文学全集 33 」 『 駱駝祥子 』 ほか 訳:立間祥介 集英社 1974 年