2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震によって発生した巨大津波は東日本太平洋沿岸部全域に大被害をもたらしました。私たちが暮らす宮城県気仙沼市では、まちの基幹産業である漁業、水産加工業地帯、それらを軸に構築されている商店街、飲食店街、そして地域住民の大半が暮らす住宅地など、まちの中枢機能が集中するわずかな平地のほぼ全域が津波に没し、かろうじて残された建造物は大火によって焼失しました。
東日本大震災に直面した私たちリアス・アーク美術館学芸員は、対峙する世界を感じ、観察し、想像力を駆使してそれを思考、表現し続けました。私たちは数か月間の極限状態をそのような活動によって乗り切り、発災から約2年後の2013年4月3日より「東日本大震災の記録と津波の災害史」常設展示を新設、公開しました。
一般に博物館における展示は、科学的根拠に基づいた客観的事実を最重視します。学術専門機関としてそれは当然のことです。一方、美術館の本質は「客観的事実(情報)の提供、取得」ではなく、「人類史上の多種多様な主観的情報が持つ普遍性の提供、その普遍性の確認と共有」を図ることです。そのような理念に基づき、当館では被災した個々人があの日以来その身で感じてきた「被災の主観的現実」を伝えています。
それまでの人生で得たほとんどの経験が通用しない大災害、理解を越えたカタストロフィを生きぬくために何をすればよいのか…、現在の日本において、ある日突然、否応なく発生する巨大災害を想定した思考を身につけておくことは、誰にとっても非常に重要なことです。
本展をご覧いただくことで、一人でも多くの人々の心に、日常の崩壊に備える意識が芽生えることを祈ります。
山内宏泰(リアス・アーク美術館館長)
東日本大震災という未曽有の災害は、その情報の継承の方法についても重要な問題を投げかけました。情報とは、ここでは具体的に「記録」と「記憶」という言葉で表現します。「記録」は報道写真・映像、データのような客観的な情報群です。震災当日やその後を表現する情報として、復興に不可欠なものであることに誰も異論はないでしょう。
しかし、「記録」は時間軸に沿って整然と配列され、建物の倒壊数や死者数は数字として私たちの目の前に示されるに過ぎません。そこには、震災前の豊かな生活の思い出や震災直後に一人一人が突き付けられた現実、今日までの時間の積み重ねはありません。
対して、「記憶」は主観的であり、時間的な経過とともに変化する可塑性を有しています。だからこそ「記憶」には、個々人の過去の思い出や将来に対する想いが込められています。「記憶」に込められた想いは、都市のインフラ復旧にはあまり寄与しないかもしれません。しかし、人々が自らの生活を再建し、地域社会へのアイデンティティを取り戻し、「これから」に目を向ける手がかりになるはずです。
リアス・アーク美術館の山内氏からお聞きした中で最も印象的であったことは、「東日本大震災の記録と津波の災害史」常設展示の来館者同士が、自らの個人的な体験を語り出すということでした。リアス・アーク美術館のスタッフにより撮影・収集され、展示されたものは、スタッフの主観で構成されています。 その主観とはスタッフ自身の「記憶」と も言い換えることができるでしょう。 このスタッフの「記憶」が表現された展示が、来館者の「記憶」を呼び覚まし、「これから」に思いをはせる機会になるのです。
本展覧会を通じて、来館者の皆様とともに震災後10年という時間が積み重ねられた「いま」を想起するとともに、「これから」に想いをはせる場が生まれることを願ってやみません。
土屋正臣(城西大学現代政策学部准教授)