Vol. 8 メディカルライターのおしごと
メディカルライターと臨床―薬剤師として文章を書くということ
『景色は心に入ることなく、記号のように右から左へ通り抜けていく。ふと、自分の感性の磨耗が気にかかり、かつてそうしていたように、目の前の景色を文章化してみようと試みた。いくつかの常套句が浮かんでは消えたところで、匙を投げた』(宮内悠介 彼女がエスパーだったころ/沸点)
SF作家、宮内悠介さんの短編集、「彼女がエスパーだったころ (講談社文庫)」に収載されている「沸点」という小説の一節です。景色を言葉にすることは、目の前の風景を自分の関心に応じて切り取り、それを真っ白なキャンバスに描くことに似ています。あるいは夕暮れ時の光に照らされた街のコントラストをモノクロ写真に収めるような感覚と言っても良いかもしれません。小説を書くことにしろ、エッセイを書くにしろ、あるいは学術的な記事を書くにしろ、それは表現の一形態であり、極めて創造的な作業といえましょう。
【薬剤師とメディカルライティング】
僕は栃木県にある病院で薬剤師業務をする傍ら、臨床医学論文の読み方や、その活用に関する記事の執筆をしています。専門書や医療者向けのウェブメディアに文章を掲載していただく機会も増え、最近ではプロフィールにメディカルライターと併記することもあります。ただ、僕にとってのメディカルライターとは、ライター業を目指すべくしてなるというよりはむしろ、薬剤師業務の延長線上に開けた道の一つでした。
そもそもメディカルライターとはどんな職種なのでしょうか。特定非営利活動法人メディカルライター協会によれば、「健康・医療に関する専門情報を国民に適切に届けるため、それを咀嚼しかつ適切な文章の形で発信する専門家」と定義されています 。メディカルライターが発信する情報は、受け手の行動を変化させ、健康状態に小さくない影響を及ぼすことから、当該分野に対する知識を含む、単なる「物書き」を超える能力が必要です。特に一般の方に向けた情報発信は、言葉の選び方、つまり表現方法に注意を払わないと、大きな誤解を招きかねません。
薬剤師は調剤や服薬説明などの臨床業務に加え、医療や健康に関する情報を他の医療職や一般の方に分かりやすく、かつ論理的に伝える「表現者」の役割を担っています。むろん、どんな職種においても表現の豊かさを身に着けることは、円滑なコミュニケーションを営む上で重要です。しかし、提供した情報が人の健康状態に小さくない影響を与えうるという点において、薬剤師による医療情報の取り扱いは、医師が患者さんから入手した問診情報や検査情報から、健康状態を適切に診断していくプロセスと変わりません。医療情報を実臨床で広く活用できるよう、文章化していくメディカルライティングは、薬剤師にとって重要なスキルの一つなのです。
【EBMスタイル診療支援】
薬学部で学ぶ知識は薬理学、薬物動態学、病態生理学などの基礎医学・薬学、さらには人の生活に直接的に関わる臨床医学・薬学まで広範に及びます。これら学問知を活用しながら、薬に関する最新の情報を多職種と共有し、より良い医学的ケアにつなげる仕事が薬剤師による医薬品情報(Drug Information:DI)業務です。薬剤師による情報の取り扱いは、多職種の連携を深めるきっかけという役割も担っているのです。
薬剤師が扱う情報は多岐にわたりますが、僕が最も重視している情報は臨床医学論文、すなわちエビデンスです。エビデンスという言葉は様々な文脈で用いられますが、保健医療の分野におけるエビデンスとは、人を対象とした臨床研究の結果を指すことが一般的です。人を対象とした研究であることが、動物などを対象とした基礎医学論文との大きな違いです。
人の健康状態と生活への影響は、僕らが想像するよりもはるかに複雑です。それゆえ、動物実験の結果が必ずしも人に当てはまるとは限りません。むろん、動物の生態系も想像以上に複雑なのだと思いますけど、少なくとも人と動物ではその複雑さの構造に大きな違いがあります。例えばうつ病モデルマウスの実験結果が、うつ病を患う人に対しても適用できるのかと問えば、動物実験の結果が仮説であることに気づくはずです。うつ病を患う人の生活にどんな影響を及ぼすのか、動物実験の結果は多くを語りません。
もちろん、動物実験の結果が無意味というわけではありませんし、動物実験を始めとする基礎医学研究の結果は、科学の発展に必要不可欠な仮説を提供してくれます。ただ、実臨床における臨床判断において必要とされる情報の多くは、重要な仮説そのものではなく、その仮説を実際の人で検証した臨床試験の結果なのです。
臨床医学論文に基づく情報を処方提案書として文章にまとめ、医師の診療を支援する業務を、僕はEBM(Evidence-Based Medicine)スタイル診療支援と呼んできました。EBMとは、現在利用可能な最も信頼できる医療情報を踏まえたうえで、最善の臨床判断を模索する医療者の行動指針です。具体的には、臨床で遭遇した疑問を一定のフォーマットで整理し、その疑問に参考となりそうな臨床医学論文の検索を行います。検索された論文情報は批判的に考察し、その考察を踏まえたうえで臨床判断を行います。もちろん、臨床判断をしたのちも、一連の作業に関する再評価を行い、継続して患者さんをフォローし続けることまでがEBMのプロセスです。
僕たちは何かを調べるとき、Googleなどのインターネット検索エンジンを使って情報を探すことが多いと思います。EBMの手法は臨床における行動指針であるとともに、質の高い情報への効率的なアクセス、得られた情報をどう読み解き、そしてどう活用するか、活用された情報は適切だったのか、という問題解決手法のフレームワークともいえます。したがって、臨床業務だけでなく、継続的な学びを実践するうえでも有用な手法なのです。
近年、EBMに関するワークショップや、その具体的な手法を論じた書籍も増えてきました。僕もEBM関連の研修会でお話しをさせていただく機会を頂くこともあり、その内容を「医学論文を読んで活用するための10講義」という書籍にまとめさせていただきました。
EBMスタイル診療支援が、一般的なDI業務と異なるのは、薬剤師主導で情報発信を行っていくことはもちろん、臨床医学論文に基づく情報(事実)の提示と、それを踏まえた薬剤師の推奨(意見)を明確に分けて提供することにあります。論文結果を共有するだけでなく、その論文を提示した背景や、論文情報にもとづき、薬剤師が何を考え、今現在において何が推奨できるのかを具体的に提示するのです。
薬剤師の主観だけではなく、また基礎医学に基づく仮説的知見だけでなく、患者さんの生活レベルにどのような影響が起こりうるのかを、臨床医学論文に基づく統計学的知見を駆使して確率的に提示することで、臨床検査の結果やレントゲン画像と同じように、医師の判断材料の一つにしてもらうことが目的です。知識として学ぶための情報提供ではなく、実際の臨床判断に影響を与えうることを目指した情報提供なのです。
薬剤師によるEBMスタイル診療支援をはじめ、薬剤師がどのように医師と連携をしているかいついて、僕が尊敬している薬剤師の先生方と一緒に執筆した「こうすればうまくいく! 薬剤師による処方提案」という書籍にまとめてあります。薬剤師向けの書籍ですが、実臨床で薬剤師が何を考え、どのような判断を行っているか、薬学生の方にとっても参考になると思います。
【医療情報を見る、医療情報から見る】
EBMスタイル診療支援は医療施設内だけの情報発信にとどまりますが、インターネットを使えば、より多くの医療者に情報を発信することができます。僕はブログやTwitterなどのインターネトメディアを活用しながら論文情報の発信や、研究結果に対する自分なりの意見を2012年から書き続けています。
論文に記載された「事実」を批判的に評価しながら、その結果を臨床でどう生かしていくか、自分なりの「意見」を言葉にしていくこと。その意見を再評価しつつ、新しい論文情報を追い続けること。そして、世の中にあふれる医療や健康に関する情報と向き合い、その情報に含まれている「事実」と情報作成者の「意見」をどのように選り分け、どんなことに関心を向ければ良いのかを考え続けてきました。それは今現在も進行中であり、この積み重ねこそが僕のメディカルライターとしての基礎を形作っています。
医療・健康情報を読み解く僕なりのノウハウについては、「医療情報を見る、医療情報から見る エビデンスと向き合うための10のスキル」という書籍にまとめさせていただきました。情報が文字や数字で記載されている以上、情報を読み解くにはある種の国語的センス、あるいは論理的飛躍を見抜く思考が必要です。この本では統計学や疫学といった論文を読むための専門知識だけでなく、文章表現に着目した医療情報の読み解き方についても言及しています。医療職ではない一般の方でも容易に読み進められるように配慮していますので、医療、健康情報に興味のある方は是非、手に取っていただけると嬉しいです。
【本を読むこと、そして文章を書くこと】
文章を書くのはなんとなく苦手……。そんなふうに思う方も多いと思います。僕も学生時代は文章を書くことに対する苦手意識がありました。ただ、日常的に読書をしていたこともあり、文章を読むことに抵抗はありませんでした。
読書が身近なものになったきっかけは、小学校5年生の時に出会った、「モモ(岩波書店)」という小説を読み始めたことです。ドイツの作家、ミヒャエル・エンデによる児童文学作品ですが、時間泥棒と盗まれた時間を人間に取り返してくれたモモの不思議な物語に引き込まれたその経験は、本や言葉を身近なものに変えてくれました。
また、言葉というものに強く興味をひかれたのは丸山圭三郎さんの「言葉とは何か(筑摩書房)」という本との出会いでした。言葉はものの名前ではない。それは表現であり、意味である……。丸山圭三郎さんが紹介する言語哲学者、ソシュールの思想は、僕がこれまで当たり前に眺めていた日常の風景を大きく変えていきます。それは医療との向き合い方までをも変えた衝撃的な出来事でした。
この本との出会いがきっかけで、哲学に関する書籍をたびたび手に取ってみることになりますが、書かれている内容をその場で理解することは困難でした。思想書や人文書は、僕にとって非常に難解な言葉で書かれていましたし、ただ文字をなぞるだけの苦痛に耐えかねて、そっと本棚に戻した書籍も少なくありません。それでも、折に触れて再び本を手に取り、その難解な文章を最初から読み返してみると、当初は良く分からなかった内容も少しずつ頭の中にしみ込んでいくような、そんな瞬間が少なからずありました。
分かりにくい言葉に理解は追いつかない。そんなことは当たり前です。しかし、読み手に届くこと強く願っている言葉が確かにあります。分かりやすい言葉には、そのような強い願いは宿っていません。むしろ、思考の単純化を迫るような強い力をまとっています。
自分にはこの本を読む資格があるのか? そう問い続けながらも、何回も表紙を開き直す、というような本との出会いは貴重なものです。字面から表面的なことしか受け取ることができないにしても、そういう内省的な心持ちでページをめくるような本との出会い。結局のところ、それは何年かけても読めない本なのかもしれません。しかし、そうした本は常に読み手に「問い」を与え続けてくれます。本を読むことで何かを学ぶとは、本に書かれている内容を理解することだけではありません。むしろ問いを立てること、その先へ進もうとする態度の中にこそ学びがあるのだと思います。
だからこそ、数多くの本を読むことよりも、読み返すたびに新しい発見や、新たな問いをもたらしてくれるような本との出会いこそが重要なのだと思います。言葉を繰り返しなぞった先で、ふと後ろを振り返った時、自分が以前とはだいぶ異なる場所にいることに気が付くでしょう。文章を書こうと思う瞬間は、まさにその異なる立場からの風景をどうしても言語化したいという強い衝動に駆られる体験に他なりません。
メディカルライターという仕事も、向き合い続けた医療情報に対して、純粋な驚きを発見するからこそ、それを言葉にせずにはいられない、そうした情動によって駆動されるものだと思います。そして、医療情報を調べるきっかけは、常に臨床現場から生まれる問いの中に生じます。
【言葉に力を宿すという専門性】
見たことのない風景のはずなのに、それを間近で眺めているように感じさせる文章というものがあります。言葉を追うだけで、すっと景色が心に染み込んでくるこの現象を、僕は「言葉を得る感覚」と呼んでいます。言語化された景色を得るのではなく、「言葉を得る」のです。優れた文章には読み手の心を一瞬にして奪うだけの魅力があります。魅力あふれる文書と出会い、そこから得た言葉こそが、新しい文章表現を可能にさせてくれるのです。
他方で、言葉ではほとんど何も伝わらない、時にそう感じることがあります。それは決して言葉を信頼していないというようなネガティブなものでは無く、言葉というのはそれを使おうとするほど、難しい技術であるということに気づくからです。だからこそ、創造的な言葉、これまでにない表現の方法が常に書き手には求められています。あるいはそれを、「物書きとしての専門性」と呼んでも良いのかもしれません。文章は書き手の思いを伝えるメディアの一つです。伝わってほしい、その思いの強さは文章をより創造的なものにさせることでしょう。臨床に立つ「表現者」として、僕はこれからも文章を書き連ねていきます。
【プロフィール】
青島周一(あおしましゅういち)
2004 年城西大学薬学部卒業。保険薬局勤務を経て2012 年より医療法人社団徳仁会中野病院(栃木県栃木市)勤務。特定非営利活動法人アヘッドマップ(https://aheadmap.or.jp/)共同代表。薬学生新聞、日刊ゲンダイ、日経ドラックインフォメーション等でコラムを連載中。
■Twitter:@syuichiao89
■note: https://note.com/syuichiao
■公式ブログ
・薬剤師の地域医療日誌http://blog.livedoor.jp/ebm_info
・思想的、疫学的、医療についてhttps://syuichiao.hatenadiary.com/
■学術論文等
・J Gen Fam Med. 2017 Jun 21;18(6):393-397 PMID: 29264070
・アプライド・セラピューティクス.2018年9巻2号p.25-36.DOI: 10.24783/appliedtherapeutics.9.2_25
・薬学教育.2020.4 巻 DOI:10.24489/jjphe.2019-022
SF作家、宮内悠介さんの短編集、「彼女がエスパーだったころ (講談社文庫)」に収載されている「沸点」という小説の一節です。景色を言葉にすることは、目の前の風景を自分の関心に応じて切り取り、それを真っ白なキャンバスに描くことに似ています。あるいは夕暮れ時の光に照らされた街のコントラストをモノクロ写真に収めるような感覚と言っても良いかもしれません。小説を書くことにしろ、エッセイを書くにしろ、あるいは学術的な記事を書くにしろ、それは表現の一形態であり、極めて創造的な作業といえましょう。
【薬剤師とメディカルライティング】
僕は栃木県にある病院で薬剤師業務をする傍ら、臨床医学論文の読み方や、その活用に関する記事の執筆をしています。専門書や医療者向けのウェブメディアに文章を掲載していただく機会も増え、最近ではプロフィールにメディカルライターと併記することもあります。ただ、僕にとってのメディカルライターとは、ライター業を目指すべくしてなるというよりはむしろ、薬剤師業務の延長線上に開けた道の一つでした。
そもそもメディカルライターとはどんな職種なのでしょうか。特定非営利活動法人メディカルライター協会によれば、「健康・医療に関する専門情報を国民に適切に届けるため、それを咀嚼しかつ適切な文章の形で発信する専門家」と定義されています 。メディカルライターが発信する情報は、受け手の行動を変化させ、健康状態に小さくない影響を及ぼすことから、当該分野に対する知識を含む、単なる「物書き」を超える能力が必要です。特に一般の方に向けた情報発信は、言葉の選び方、つまり表現方法に注意を払わないと、大きな誤解を招きかねません。
薬剤師は調剤や服薬説明などの臨床業務に加え、医療や健康に関する情報を他の医療職や一般の方に分かりやすく、かつ論理的に伝える「表現者」の役割を担っています。むろん、どんな職種においても表現の豊かさを身に着けることは、円滑なコミュニケーションを営む上で重要です。しかし、提供した情報が人の健康状態に小さくない影響を与えうるという点において、薬剤師による医療情報の取り扱いは、医師が患者さんから入手した問診情報や検査情報から、健康状態を適切に診断していくプロセスと変わりません。医療情報を実臨床で広く活用できるよう、文章化していくメディカルライティングは、薬剤師にとって重要なスキルの一つなのです。
【EBMスタイル診療支援】
薬学部で学ぶ知識は薬理学、薬物動態学、病態生理学などの基礎医学・薬学、さらには人の生活に直接的に関わる臨床医学・薬学まで広範に及びます。これら学問知を活用しながら、薬に関する最新の情報を多職種と共有し、より良い医学的ケアにつなげる仕事が薬剤師による医薬品情報(Drug Information:DI)業務です。薬剤師による情報の取り扱いは、多職種の連携を深めるきっかけという役割も担っているのです。
薬剤師が扱う情報は多岐にわたりますが、僕が最も重視している情報は臨床医学論文、すなわちエビデンスです。エビデンスという言葉は様々な文脈で用いられますが、保健医療の分野におけるエビデンスとは、人を対象とした臨床研究の結果を指すことが一般的です。人を対象とした研究であることが、動物などを対象とした基礎医学論文との大きな違いです。
人の健康状態と生活への影響は、僕らが想像するよりもはるかに複雑です。それゆえ、動物実験の結果が必ずしも人に当てはまるとは限りません。むろん、動物の生態系も想像以上に複雑なのだと思いますけど、少なくとも人と動物ではその複雑さの構造に大きな違いがあります。例えばうつ病モデルマウスの実験結果が、うつ病を患う人に対しても適用できるのかと問えば、動物実験の結果が仮説であることに気づくはずです。うつ病を患う人の生活にどんな影響を及ぼすのか、動物実験の結果は多くを語りません。
もちろん、動物実験の結果が無意味というわけではありませんし、動物実験を始めとする基礎医学研究の結果は、科学の発展に必要不可欠な仮説を提供してくれます。ただ、実臨床における臨床判断において必要とされる情報の多くは、重要な仮説そのものではなく、その仮説を実際の人で検証した臨床試験の結果なのです。
臨床医学論文に基づく情報を処方提案書として文章にまとめ、医師の診療を支援する業務を、僕はEBM(Evidence-Based Medicine)スタイル診療支援と呼んできました。EBMとは、現在利用可能な最も信頼できる医療情報を踏まえたうえで、最善の臨床判断を模索する医療者の行動指針です。具体的には、臨床で遭遇した疑問を一定のフォーマットで整理し、その疑問に参考となりそうな臨床医学論文の検索を行います。検索された論文情報は批判的に考察し、その考察を踏まえたうえで臨床判断を行います。もちろん、臨床判断をしたのちも、一連の作業に関する再評価を行い、継続して患者さんをフォローし続けることまでがEBMのプロセスです。
僕たちは何かを調べるとき、Googleなどのインターネット検索エンジンを使って情報を探すことが多いと思います。EBMの手法は臨床における行動指針であるとともに、質の高い情報への効率的なアクセス、得られた情報をどう読み解き、そしてどう活用するか、活用された情報は適切だったのか、という問題解決手法のフレームワークともいえます。したがって、臨床業務だけでなく、継続的な学びを実践するうえでも有用な手法なのです。
近年、EBMに関するワークショップや、その具体的な手法を論じた書籍も増えてきました。僕もEBM関連の研修会でお話しをさせていただく機会を頂くこともあり、その内容を「医学論文を読んで活用するための10講義」という書籍にまとめさせていただきました。
EBMスタイル診療支援が、一般的なDI業務と異なるのは、薬剤師主導で情報発信を行っていくことはもちろん、臨床医学論文に基づく情報(事実)の提示と、それを踏まえた薬剤師の推奨(意見)を明確に分けて提供することにあります。論文結果を共有するだけでなく、その論文を提示した背景や、論文情報にもとづき、薬剤師が何を考え、今現在において何が推奨できるのかを具体的に提示するのです。
薬剤師の主観だけではなく、また基礎医学に基づく仮説的知見だけでなく、患者さんの生活レベルにどのような影響が起こりうるのかを、臨床医学論文に基づく統計学的知見を駆使して確率的に提示することで、臨床検査の結果やレントゲン画像と同じように、医師の判断材料の一つにしてもらうことが目的です。知識として学ぶための情報提供ではなく、実際の臨床判断に影響を与えうることを目指した情報提供なのです。
薬剤師によるEBMスタイル診療支援をはじめ、薬剤師がどのように医師と連携をしているかいついて、僕が尊敬している薬剤師の先生方と一緒に執筆した「こうすればうまくいく! 薬剤師による処方提案」という書籍にまとめてあります。薬剤師向けの書籍ですが、実臨床で薬剤師が何を考え、どのような判断を行っているか、薬学生の方にとっても参考になると思います。
【医療情報を見る、医療情報から見る】
EBMスタイル診療支援は医療施設内だけの情報発信にとどまりますが、インターネットを使えば、より多くの医療者に情報を発信することができます。僕はブログやTwitterなどのインターネトメディアを活用しながら論文情報の発信や、研究結果に対する自分なりの意見を2012年から書き続けています。
論文に記載された「事実」を批判的に評価しながら、その結果を臨床でどう生かしていくか、自分なりの「意見」を言葉にしていくこと。その意見を再評価しつつ、新しい論文情報を追い続けること。そして、世の中にあふれる医療や健康に関する情報と向き合い、その情報に含まれている「事実」と情報作成者の「意見」をどのように選り分け、どんなことに関心を向ければ良いのかを考え続けてきました。それは今現在も進行中であり、この積み重ねこそが僕のメディカルライターとしての基礎を形作っています。
医療・健康情報を読み解く僕なりのノウハウについては、「医療情報を見る、医療情報から見る エビデンスと向き合うための10のスキル」という書籍にまとめさせていただきました。情報が文字や数字で記載されている以上、情報を読み解くにはある種の国語的センス、あるいは論理的飛躍を見抜く思考が必要です。この本では統計学や疫学といった論文を読むための専門知識だけでなく、文章表現に着目した医療情報の読み解き方についても言及しています。医療職ではない一般の方でも容易に読み進められるように配慮していますので、医療、健康情報に興味のある方は是非、手に取っていただけると嬉しいです。
【本を読むこと、そして文章を書くこと】
文章を書くのはなんとなく苦手……。そんなふうに思う方も多いと思います。僕も学生時代は文章を書くことに対する苦手意識がありました。ただ、日常的に読書をしていたこともあり、文章を読むことに抵抗はありませんでした。
読書が身近なものになったきっかけは、小学校5年生の時に出会った、「モモ(岩波書店)」という小説を読み始めたことです。ドイツの作家、ミヒャエル・エンデによる児童文学作品ですが、時間泥棒と盗まれた時間を人間に取り返してくれたモモの不思議な物語に引き込まれたその経験は、本や言葉を身近なものに変えてくれました。
また、言葉というものに強く興味をひかれたのは丸山圭三郎さんの「言葉とは何か(筑摩書房)」という本との出会いでした。言葉はものの名前ではない。それは表現であり、意味である……。丸山圭三郎さんが紹介する言語哲学者、ソシュールの思想は、僕がこれまで当たり前に眺めていた日常の風景を大きく変えていきます。それは医療との向き合い方までをも変えた衝撃的な出来事でした。
この本との出会いがきっかけで、哲学に関する書籍をたびたび手に取ってみることになりますが、書かれている内容をその場で理解することは困難でした。思想書や人文書は、僕にとって非常に難解な言葉で書かれていましたし、ただ文字をなぞるだけの苦痛に耐えかねて、そっと本棚に戻した書籍も少なくありません。それでも、折に触れて再び本を手に取り、その難解な文章を最初から読み返してみると、当初は良く分からなかった内容も少しずつ頭の中にしみ込んでいくような、そんな瞬間が少なからずありました。
分かりにくい言葉に理解は追いつかない。そんなことは当たり前です。しかし、読み手に届くこと強く願っている言葉が確かにあります。分かりやすい言葉には、そのような強い願いは宿っていません。むしろ、思考の単純化を迫るような強い力をまとっています。
自分にはこの本を読む資格があるのか? そう問い続けながらも、何回も表紙を開き直す、というような本との出会いは貴重なものです。字面から表面的なことしか受け取ることができないにしても、そういう内省的な心持ちでページをめくるような本との出会い。結局のところ、それは何年かけても読めない本なのかもしれません。しかし、そうした本は常に読み手に「問い」を与え続けてくれます。本を読むことで何かを学ぶとは、本に書かれている内容を理解することだけではありません。むしろ問いを立てること、その先へ進もうとする態度の中にこそ学びがあるのだと思います。
だからこそ、数多くの本を読むことよりも、読み返すたびに新しい発見や、新たな問いをもたらしてくれるような本との出会いこそが重要なのだと思います。言葉を繰り返しなぞった先で、ふと後ろを振り返った時、自分が以前とはだいぶ異なる場所にいることに気が付くでしょう。文章を書こうと思う瞬間は、まさにその異なる立場からの風景をどうしても言語化したいという強い衝動に駆られる体験に他なりません。
メディカルライターという仕事も、向き合い続けた医療情報に対して、純粋な驚きを発見するからこそ、それを言葉にせずにはいられない、そうした情動によって駆動されるものだと思います。そして、医療情報を調べるきっかけは、常に臨床現場から生まれる問いの中に生じます。
【言葉に力を宿すという専門性】
見たことのない風景のはずなのに、それを間近で眺めているように感じさせる文章というものがあります。言葉を追うだけで、すっと景色が心に染み込んでくるこの現象を、僕は「言葉を得る感覚」と呼んでいます。言語化された景色を得るのではなく、「言葉を得る」のです。優れた文章には読み手の心を一瞬にして奪うだけの魅力があります。魅力あふれる文書と出会い、そこから得た言葉こそが、新しい文章表現を可能にさせてくれるのです。
他方で、言葉ではほとんど何も伝わらない、時にそう感じることがあります。それは決して言葉を信頼していないというようなネガティブなものでは無く、言葉というのはそれを使おうとするほど、難しい技術であるということに気づくからです。だからこそ、創造的な言葉、これまでにない表現の方法が常に書き手には求められています。あるいはそれを、「物書きとしての専門性」と呼んでも良いのかもしれません。文章は書き手の思いを伝えるメディアの一つです。伝わってほしい、その思いの強さは文章をより創造的なものにさせることでしょう。臨床に立つ「表現者」として、僕はこれからも文章を書き連ねていきます。
【プロフィール】
青島周一(あおしましゅういち)
2004 年城西大学薬学部卒業。保険薬局勤務を経て2012 年より医療法人社団徳仁会中野病院(栃木県栃木市)勤務。特定非営利活動法人アヘッドマップ(https://aheadmap.or.jp/)共同代表。薬学生新聞、日刊ゲンダイ、日経ドラックインフォメーション等でコラムを連載中。
■Twitter:@syuichiao89
■note: https://note.com/syuichiao
■公式ブログ
・薬剤師の地域医療日誌http://blog.livedoor.jp/ebm_info
・思想的、疫学的、医療についてhttps://syuichiao.hatenadiary.com/
■学術論文等
・J Gen Fam Med. 2017 Jun 21;18(6):393-397 PMID: 29264070
・アプライド・セラピューティクス.2018年9巻2号p.25-36.DOI: 10.24783/appliedtherapeutics.9.2_25
・薬学教育.2020.4 巻 DOI:10.24489/jjphe.2019-022